ネットに「塩谷博士のラストメッセージ」ということで15のメッセージが紹介されているサイトがいくつか有ります。これは2008年3月14日に博士が逝去された直後、「週刊ゴルフダイジェスト」2008年3月25日号に掲載されたものを転載しているものです。
博士は最晩年の5年ほどは残念ながら寝たきりの生活で、ご家族ともやり取りのできない状況で有ったと聞いています。したがってこのメッセージは塩谷博士が直接書かれた、あるいは口述された内容ではないことは頭に置いておいて読んでいただければと思います。
ただ、内容的には塩谷博士の著作等からのまとめになっていますので、このサイトでも紹介しておきます。

 ネットからの転載に当たっては一切の修正はしていません。
 
ただし、元記事の誤植か、転載時のミスか不明な所が2ヵ所有り、そこには注記を入れました。

①『生き物とは息物である』

冗談や洒落をいっているのではない。英語のアニマルの語源はラテン語のアニマだそうだが、そこには呼吸、生命といった意味を含む。明治35年(1902年)、皺だらけの塊として生を受け、幼少時代は病気の百貨店と揶揄されながらもわしが106年の人生を過ごせたのは、誰よりもこの呼吸を大事にしたからに他ならない。深く、大きく呼吸しなさい。それだけで皆さんは、必ず幸福になる。息をするから人間なのだ。

『60兆個の細胞の大部分は腹をすかしている』

人間は、約60兆個の細胞でこさえられている。しかしその60兆個のほとんどの細胞は起きているがその100%の実力を発揮しておらず、だいたい3割くらいだ。その原因は、細胞のエネルギー源である酸素が不足しているためだ。酸欠で腹が減って動けないのである。酸素が行き届いた細胞が駿馬だとすれば、酸欠の細胞は痩せ馬並みのパワーしかない。いやいや、それ以上に酸欠はほとんどの病気の原因にもなっている。

『人間の寿命は100歳以上』

哺乳動物の寿命は、「脳細胞が完成する年数×5倍」というのがわしの考えだからである。人間の脳細胞は20歳で成長が止まる。つまり脳細胞の耐用年数は成長期間の5倍の100年だ。ボケもせず、物忘れもせず、人間が人間らしく健康でいられるのは100歳だ。20歳を過ぎると今度は死滅し、減少するということである。死滅、減少は避けられないが、しかしその寿命を延ばすことはできる。その方法が脳細胞を酸素で満たすことなのだ。

『水も買う時代に、 酸素だけは“タダ”』

あらゆる健康法、健康食品は有料だが、奇跡の星、地球に限っていえば酸素はタダである。いっぱい吸っても、独り占めにしても、誰も怒りも非難もしない。吸いなさい、酸素を。それが健康と幸せになる、唯一の方法だ。うつむいてはいないか?うつむけば地面しか見えず、進路の方向がわからなくなる。何より背すじが曲がれば、十分な酸素をすえないではないか。

『愚痴らない、 感謝を忘れない、前向きに考える』

幸せの扉を開ける唯一の方法だ。しかし、単にこれは心構えの問題だけではない。60兆個の細胞が酸素で満ち充ちれば、自然と愚痴も悪口も出なくなり、前向きになれる。感謝の気持ちも生まれる。簡単なことだ。栄養と休養を十分にとった駿馬にはそよ風と感じる風も、それらが不足した痩せ馬には逆風になる。風の問題ではない。馬の元気の問題である。馬とはすなわち細胞。細胞の元気は酸素をいっぱいに送り込んでやるしかない。

『正しい心の在り方を知る』

わしの考案した独自の呼吸法「正心調息法」の名前にもなっている「正心」とは、正しい心、の意。正しい心の使い方、といってもいい。愚痴らない、人の悪口をいわない。前向きに考える、感謝する心を持つのが正心だ。本来、細胞が酸素で満ち充ちていれば、人間の体、心は、勝手にそうなる。自然とそうなる。酸素が足りないと正心は保てなくなり、悪い因果となる。酸素を吸えばいいのです。

『願いは完了形で断言すると叶う』

幸福とは夢をかなえることでもある。実際にわしはこの連載でも、「寿命の100歳プラス5歳、105歳まで生きる」と言い切り、実際に105年と365日(※)の生涯を閉じた。なぜ、そのような夢をかなえることができたのか?これまた簡単なことである。「105歳まで生きたい」と願ったのではなく、「105歳まで生きた!」と完了形で断言していたからだ。人は多くの場合、「~したい。~が欲しい」とないものねだりするが、「~するのだ、した」と強い気持ちで前向きに断言すれば必ず願いは叶う。
  ※ここは105年と355日の間違いですね。原文の間違いか、転載時のミスかは不明。

『“あり難い” と“あり得ない”の違い』

その確率はほとんど一緒だが、正しい心を持った者の人生には、あり難いことが次々と起こる。あり難いと似て非なる言葉、あり得ないとは、数字の確率論でいえば0パーセントという意味だ。絶対に起きないのだから、そういうことであろう。その論でいえば、あり難いは限りなく0パーセントに近い確率ながら、しかし実際に起こることなのだ。あり得ない奇跡が現実に起きた。ありがたいことである。難しい言葉を使えば邂逅、あるいは一期一会。感謝の気持ちを忘れずに。誰にでも簡単にできることだ。どうだろうさっそく今日から試してみないかね。

『悪い因果は三倍返し』

江戸時代生まれの祖父から、幼い頃教わった。「いい因果は倍返し、悪い因果は三倍返しだ。だから悪いことはしてはいけない」と。いいことをすれば倍のいいことが返ってくる。反対に人を貶めたり、悪さをして得た結果はやがて3倍の不幸になって返ってくる。すべての世の中は因果の関係にある。結果には原因がある。それが因果律だ。

『酸素と同様、宇宙の無限力もタダ』

酸素と同じように大切なのが、宇宙の無限力である。地球上の生命は、太陽の光と熱なしには考えられない。この太陽エネルギーを、凹レンズ(※)で一点に集中させてみる。すると、どうだ。一瞬にして紙は燃える。小さな小さな虫眼鏡でもいい。一点に集中させるだけで、それは膨大で強力なエネルギーになる。宇宙には、その太陽の熱と光のような無限の力が満ち充ちている。これが宇宙の無限力だ。この力を集めて使えば、人生は大きく変わってくる。
  ※これも「凸レンズ」の間違いかと。これも原文の間違いか、転載時のミスか不明。

『ありがとうと思いなさい。それだけで幸せになれる』

漢字で書けば「有り難い」。そう考えると、こうしてこの世に生を受けたことも、本を通じてわしと皆さんが出会ったことも・・・・・・ありがたいことである。有り得ないことであっても、なんら不思議はないのに。いうまでもなく、「ありがとう」という感謝の言葉は、この「有り難い」を語源としている。「ありがとう」と思う心があれば、有り難いこと、奇跡は起こる、いや奇跡ではなく、当然のこととして起こるのだ。

『健康な細胞、正しい心で 不健康を跳ね返す』

人間の体は、ほとんどの有害な物質を跳ね返し、体から追い出そうという力がある。健康な体であれば、との条件だが、健康とは酸素が満ち充ちた細胞と、正しい心の持ち主のことである。物質ばかりでなく、たとえば思想だって同じことだ。良からぬ思想や考えも、健康であれば跳ね返すことができる。ときに人を騙したり、自分さえ良ければいいといったおかしな宗教にはまる者もいるが、それは体も心も不健康な証であろう。悪い考えを跳ね返す力のない、そうした不健康が、体の中に悪い考えを入れ込んでしまうのだ。

『人間には貴賎はないが、人間の尊厳に貴賎はある』

東大出がエリートなのではない。卑しい気持ちを捨て、人品やモラルを持つものがその資格を持つ。「役得という言葉があるが、役損というのもある。人の上にたつことは役損だと思わなくてはいけない」。明治生まれの父親の口癖だ。

『日本人には幸福の遺伝子がある!』

わしは明治、大正、昭和、平成と生きてきた。日本はまったく資源のない国だが、約300万年前、天照大神の神話の時代、世界の核(ケルン)だった。世界を統治する国であった。数千年も前から独自の文化を築き、戦後の焼け野原からここまでの経済大国を作り出した。それはなぜか。優れた日本人が数多くいたからだ。謙虚、節制、勤勉の美徳に、一を聞けば十を知る想像力と創造力、そして技術があったからだ。日本人は自分たちが思っているほどケチな民族じゃない!優秀なDNAが脈々と受け継がれているのだ。

『人間の体にも 人生にも無駄がない』

人間の体には無駄がない。たとえば腸に生息している大腸菌ですら、まったくなければすぐに人間の体など死滅してしまう。同じように、誰のどのような人生にも無駄がない。たとえば今、苦労と思われる境遇にある者でも、それは自分の魂を磨いてくれる修行なのだろう。そう思えというのではない。実際にそういうものなのだ。それを超えたところに、もう一つレベルの高い幸福がある。神と呼ぶべきか、この宇宙の創造主(クリエーター)と呼ぶべきかは勝手だが、創造主には越えられない者に試練を与えない。その試練を乗り越えるために必要なのが、酸素と正しい心なのだ。わしはこれにてこの世から失礼するが、このふたつをもってして、皆さんの未来が黄金に輝くことを保証する。百事如意。皆さんも、「塩谷よ、待っとれ。」とばかりにわしに続いて健康長寿を謳歌してほしい。