【ページ内目次】

 ■腫瘍が剥がれた  ■心筋梗塞からの帰還  ■北海道への祈り
 ■眼底出血からの回復  ■講習会で激変が  ■第3子は自然出産

■体験談を掲載するに当たって

講習会では紹介していますけれど、このサイトでは当初、体験談についてはあまり触れてきませんでした。
明確な理由はありませんけれど、正心調息法を実践し、さらに講習会を開催するに当たって、「奇跡的なことが起きないのなら、正心調息法から自分は離れるのかどうか」と自問したことが一つの要因かも知れません。

もう一つは、これまで幾つかの講習会をお手伝いして感じたことです。
貴重な体験談を持つ方にその話をしていただくと、実体験だけに参加者の方々はとても感激し励まされます。そこまでは良いのですが、そのうちその体験談を持つ人を、まるで正心調息法のスターのように扱って群がり始めたりします。それが続くと、人によっては自分がスターであるかのように接し始め、講習会などで人前で話す機会を与えられないと不機嫌になったりする(苦笑)。どうも人間にとって注目を浴びながら人前で話すというのは、とっても魅力的なことであるようです。

これからいろいろな方の体験談を掲載して行きますけれど、皆さんにご理解いただきたいことは次のことです。

他人の体験談が如何に奇跡的な出来事に思えても、それは各自が自分にも起こし得る出来事である。

それをくれぐれも忘れないようにしてください。

■皆さんからの体験談/その1

腫瘍が剥がれた-Iさんの体験 1998年5月の報告

他家に嫁いだ娘の病気で貴重な体験をさせて頂きました。去年の十一月のこと、突然娘から電話があり「頸椎に腫瘍ができて歩行が不自由になり大学病院で手術をすることになった」と聞かされた時は目の前が真暗になり、何が何だか唯オロオロしながら、親として何ができるのか?何をしてやれるのか?夢中で考えました。この様な時、決して人間は理性的ではいられません。そんな私の中の奥深いところの潜在意識が漠然と何かの瞬間によみがえって「コレダ!!」と思いました。コレダと閃いたのが正心調息法だったのです。私はこの直感に頼りました。過日主人の友人のN様から塩谷先生の正心調息法のことをお聞きしていたのです。これしかない、私は私の直感を信じました。宇宙の無限の力を全身に漲らせ、正心調息法を行じれば百事如意、何ごとも意のまゝになる。
主人と二人、K様ご夫妻より力強いお話も伺うことができ、さっそく娘の一番良い状態を想念し、内観しながら正心調息法、大断言を唱え続けました。一ケ月、一ケ月半が過ぎ、こんなことで本当に病気が治るのか?私たちには治す力が有るわけが無いと、不信と猜疑心にかられ、誰か力の有る人に頼りたい気持ちになった時、N様は、「嫁に出した他家の子でも根は奥深い所でつながっている。母子の絆は誰よりも強い親がしなくて誰がするんだ」と云われ、K様ご夫妻からも、「こんな時、何と云っても母親の力が一番強く子に通じるものです」と聞かされ、私が自信の無いまゝ心が乱れては、できるものもできない、真剣にやるだけのことをやって、後は神様に委ね、天に任せるしかないと決心いたしました。

その瞬間、心が軽くなり、調息法も、もっと静かな深かーいものに変わり、大断言も大きくゆっくりと呼吸しながらするようになりました。私の正心調息法は、まず心をくつろがせ、宇宙創造主に無限の力を頂く感謝をしてから娘を心の中におき、自分が娘になった気持で、力強く腫瘍が治った治ったと元気な娘を想念しながら「腫瘍よ。人を苦しめないで良い事もしなさい。頸椎から離れなさい。離れた離れた」と想念を続け、元気な娘の姿を内観していました。手術は医師からレントゲンでは頸動脈に腫瘍が絡んでおり、剥すのが大変危険性があると聞かされていましたので、宇宙の無限の力に依って手術は大成功したと念じ、病院の先生とスタッフの方達の上にも宇宙の無限の力が満され、手術は大成功したと想念し、内観はすでに元気ハツラツとした娘がそこに居ました。

手術で開きましたら、レントゲンでは確かに腫瘍は頸動脈に絡んでいましたが、腫瘍はパカッと剥れていたのです。先生もアレッと思ったそうです。こんな事って現実にあったのです。お蔭さまで手術も五時間の予定が二時間で済み、四ケ月の入院予定が二カ月半で退院です。宇宙の無限の力は、人間に生きる力を与え、癒し、幸せに導きます。苦しい時の神頼ではいけません。日々の糧として精進し、ご縁を頂いた塩谷先生、K様ご夫妻、N様そして病院の先生皆様に心より感謝を申し上げます。

<コメント> 
この体験談は「自在力」でも紹介されています。病名は脊髄神経腫瘍だったとのことです。
娘さんの手術の当日、手術室に入るのを見届けて、Iさんは一度自宅に戻られました。そしてしばらくしたら娘さんのご主人から電話が入ります。長くかかる手術と言われていたのに、予想外に早い電話。悪い予感にIさんはへたり込んでしまったそうです。そしたらご主人が「お母さん、しっかりしてください。手術は無事終わりました。」との報告。そして上記の結果です。

執刀医も「アレッと思った」と書かれていますが、珍しい出来事に他のお医者さんも観に来た、なんて噂も聞いています。

■心筋梗塞からの帰還-内山守さんの体験 2006年8月11日の掲示板への投稿より

私は40歳でゴルフを覚えて以来、30年が過ぎました。
当初ゴルフ雑誌を読み漁っておりましたが、そこで塩谷先生のことを知り、著書はすべて買い集め読みました。そして私の目標は「100歳まで元気にゴルフをやる」です。正心調息法と大断言に付いては、毎日継続して実行は出来ていませんが、ゴルフをやる度に同伴競技者にPRしております。

私は69歳まで健康そのもので、医者と薬には縁が薄かったのです。
ところが、69歳の4月、長時間労働(徹夜作業2日)が原因で心筋梗塞を発症したのです。

それは、朝2時過ぎ、強烈な痛みと呼吸困難に襲われ七転八倒しました。
一瞬俺は死ぬんだという感覚がありましたが、すぐに俺は死ぬわけはないと思い直し、意識が薄れかかる中、懸命に腹式呼吸を繰り返し、体を動かしました。時間にして1時間強だったと思いますが、フッと痛みがとれ、呼吸も楽になりました。

朝会社の社長の車で病院に駆け込み、診察を受けたところ、冠状動脈の1本がほとんど詰まっており、心筋の1部がすでに壊死していました。医師から「ここに来れたのが奇跡的、こんな状態だと99%死んでいますよ」といわれ、即集中治療室に入れられ、手術を受け2週間入院となりました。
退院後病院指定の薬は全て拒否し一切飲みません。しかし正心調息法を毎日実行するようになり、3ヶ月6ヶ月の一泊入院検査では、血圧その他全て異常なしで、「内山さんは今後病院にくる必要はありません。」と太鼓判を押されました。

それから1年、ゴルフも毎月3~4回ラウンドしていますが、体調は完璧です。
血圧についていろいろ勉強したところ、薬より、腹式呼吸を実行するほうがはるかに効果があることをしりました。薬では血圧は下がりますが、副作用でいろんな病気が出て、命も短くなるとのデータも発表されています。塩谷先生の呼吸法を広めることで、薬の害を防ぎ、元気な年寄りが増え、厚生省の健保予算も大幅に削減されます。微力ながら、ゴルフをやりながら、正心調息法と大断言をPRしたいと思っております。

<コメント>
発症から車で病院に着くまでの数時間、お一人だったということでしょうから、大変な事態で良く乗り越えられたと驚きます。社長が出社されて内山さんを見つけたなら救急車を呼ぶでしょうから、「社長の車で」というのはご自身で運転して、と言うことのようですね。
また非常に心細い状況の中、よくぞ腹式呼吸に思いが到ったものと感心します。戦争や事故などで負傷した人たちの中でも、パニックに陥ってしまう人よりもそうでない人の方が、たとえ傷が重くとも助かる確率が高いという話もあります。内山さんの場合は「俺は死ぬわけはない」と思われたときに、帰還の段階に入ったのでしょうね。緊急事態に対しては、正心調息法の手法に拘ることなく、できる範囲でできるだけ深い呼吸に勤めることは重要なことだということを教えていただきました。
この体験談については内山様に確認を取り、実名で掲載させていただきました。ありがとうございます。

■北海道への祈り-KHさんの体験談 2000年1月

正心調息法をご存じない方が病気で苦しまれている時、是非、正心調息法のご活用をお勧めいたします。塩谷先生のお話の通りに素晴らしい世界が実現いたします。

平成12年の松飾りを取ろうとする頃、私ども夫婦の尊敬するYさんから一本の電話がありました。「ちょっと、体の具合が悪いので入院することになったの、癌らしい。どこの癌か特定する為、検査をするけど、どうも肝臓かもしれない。今回は正直悪いかも」と、苫小牧の病院に入院するが、手術の場合は札幌の系列の病院に移って手術になるとの事だった。私ども夫婦はビックリして、検査で悪性と判定されることが無いよう祈った。

そして手術になったら北海道にスグ飛べる様に準備をしたが、腹水が溜まって毎日体重が増えている為、検査が進まないらしい。腫瘍マーカーの数値は癌が出来ていることを示しているらしいが、一体、どこの癌なのか? 気ばっかりもんでサポート出来ないジレンマに襲われる。そんな1月15日、松本のAさんという方が1冊の本を持って、私の妻をお訪ね下さった。

これが縁というもの、奇跡が起こりました。その本こそ「大断言」だったのです。百事如意、ならば尊敬するYさんの病気平癒にこの正心調息法を使わせて頂こう。そして「大断言」を夫婦で念ずる日々が続きました。1月28日が手術の日と決定、手術は開始されました。なんと腫瘍は11キロと巨大卵巣腫瘍だったそうです。更に胆石もドングリ大のものが一つ、しかも生体検査で良性と判断され悪性の癌は消えていたのです。執刀の医師も「人智を越えた何かが作用した。」と感想を述べられたと伺いました。その記念すべき腫瘍は現在、北大の研究室に納められているとの事。後日ご本人から伺ったところ、私達夫婦が「大断言」を開始した日と同日の23日から腹水が減少し、27日には無くなった、そして手術後約3週間で退院出来たと。

2月20日にYさんと喜びの再会、「大断言」の本をお渡しさせて頂きました。まだ「大断言」をご存じない方への祈りに対しても宇宙の無限力は平等に素晴らしい結果をもたらして下さいます。先生にお話しすれば、当然とお答えが返ってくるとは存じますが、まずはご報告まで。私は生涯、毎日正心調息法を実修し、大断言を念じさせて頂きます。皆様、是非ご活用下さい。

塩谷先生ありがとうございます。    合掌

<コメント>
KMさんはたしかこの頃は横浜に住まわれていたと覚えています。Yさんはアイヌのシャーマンの方だったようです。それにしても卵巣腫瘍自体が11kgも有ったということ自体が異常事態。しかも全て良性であったとは驚きですね。横浜から北海道への祈り、見事に咲きましたね。

■眼底出血からの回復-KMさんの体験 2000年5月の報告

私は塩谷先生の本が好きで、どの本も本気で読ませて頂きました。
三年程前から正心調息法を自分なりに始めました。「健康長寿と安楽詩」と「自在力」は特に好きで、この二冊は何回も読み返し乍ら実行に勵みました。あヽそうだ、あヽそうだ、とうなずき乍ら、一切を前向きに大らかに楽しく実行して来ました。

私は22、3年前から毎朝6時半からのラヂオ体操を数人の仲間と江戸川の土手で楽しくやって来ました。その日は一月の始めの寒い朝でした。ピョンピョン飛びはねておりましたら、突然右目の前方に大きなまるい美しい花火がパット展開してびっくりしました。
そしてそれがすうっとしぼんだと思いましたら、右眼は真っ暗で何も見えなくなってしまいました。結局眼底出血だったのですね。直ぐに眼科に行きました。おそらく見えるようになるのはむずかしいとのことでした。

でも私は塩谷先生の御本を拝読しながら、常に前向きに何でも明るく陽気にということを何時も心に思ってりましたので、眼科の先生のお話にもショックを受けることもなく「絶対に見えるんだ」と勝手に決めこんで正心調息法を更に本気で実行して来ました。
道路を歩き乍らも、私の眼は絶対に見えるんだと陽気に一人言を言い乍ら眼科医にも通いました。その後十日程も立ったかしら、かすかに電燈が明るく感じました。その時は流石に嬉しいなと思いました。

結局半年近く立ってきれいに見える様になりました。眼科の先生もびっくりしましたし、後で他の眼科の先生にも見て頂きましたが、よく治りましたねと感心して頂きました。

私は毎年一度行う老人の健康診断の場合に「どこも悪い処はないが血圧が高い」と言われておりましたのに、不注意にも真冬にも構わずラヂオ体操をやって、前記の様な事故をおこしてしまいました。
でも私はその1年程前から正心調息法を実行しておりましたおかげで、この様な結果を頂き有難いことだと感謝しております。

実は私の母は腦溢血で突然たおれ丸々9年寝たきりで亡くなったことを考えると、私もそうなるはずだったかもしれないのに片目で気づかせて頂いて何て幸せだったろう、もしも母の様に倒れてしまったら、主人は私の目が全快してから腦梗塞で倒れ1年ちょっと病院を出たり入ったりをくり返しながら昨年末91才で亡くなったのですから、夫婦でこんな状態だったら身内の者やその他を考えると、つくづくと塩谷先生に救われたなあと感謝の心で一杯でございます。本当に有難うございました。

<コメント>
KMさんの体験は、お医者さんが「見えるようになるのは難しい」という状態からの回復、素晴らしいです。「難しい」ということは「不可能」ではないんだということを、KMさんは証明してくださった訳です。
最近では脳溢血等で、例えば右手が動かなくなるのは「学習」のせいだという見方が有ります。動かない事態に「動かない」ということを「学習」してしまう。この例で言うと、動く方の左手を三角巾等で固定して、動かない右手をなんとか使うようにしていると、動かせるようになってくるとのこと。人間の身体ってまだまだ未知の部分が有ります。

■講習会で激変が-青山講習会にご参加いただいた方からのメール 2003年6月

25日はありがとうございました。
お話も大変興味深く、音楽や場も気持ち良かったので、もっとここで調息法したいなぁ~と思ってしまいました。

実は25日に一緒に参加させて頂いた男性は、長年の無理がピークまできてしまい20日から仕事を自主休暇とっている状態で、いつも右肩が極端に下がっており、肩の痛みや精神的な辛さで、大変参っていたようなのですが、実習会を終え、会場を後にする時に気がつくと肩が真っ直ぐになっているのです。本人も「肩がすごく軽くなった!」ととても喜んでいたのですが、彼の肩を見た私がびっくりしてしまいました。
その後、彼は何が起きたのかというくらいリラックスして、全てのものが「好きだ~!」と思えるのだ、というのです。軽い腱鞘炎も帰宅する頃には治っていたといいます。

次の日より、彼の周りが変わりだしたようです。苦手な仕事の相手や、苦手な友達が次々と優しくなったり、今は早々と仕事に復帰しているのですが、昨日も仕事で不思議なことがあったといいます。
彼のガールフレンドがその後彼に会って、何より驚いていました。佇まいが違う、というのです。以前は外にいる時はいつもピリピリしていたのに、悠然としていて、とても自信に満ちているのだそうです。

ああ、彼自身が変わったのだなあ、と思うのですが正心調息法をやったとたん、あまりに劇的なので本人も最初は「眉唾か?」と自分に対して思ったようです。(でも、今は「これが本来の自分だ」と認識しつつあるそうです)。
彼いわく、実習会の説明の中で「祈り」に関しての科学的実証がありましたが、それを聞いた時、自分が個人的に日課でやっていた事が「正しいこと」だったんだ、と大変な自信に繋がったと申しておりました。

実習会の後、私が目にした彼の変化は私自身も、「もの凄いもの凄いものを見させて貰ってる!」と大変感激しました。これも塩谷先生、皆様のおかげだと思っております。
ありがとうございました。

<コメント>
基礎講座でお話ししていることが、受講される方の気付きにつながるということはとても有難いことです。
この体験談を掲示板に転載したとき、下記のようなコメントを付記しましたので、ご参照ください。。
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「祈りの効果」ということについては、今年(2003年)の1月から講習会で米国での実験結果の資料を紹介させていただいていますが、3月の福岡での実習会の後、身内に重病の方がおられることがわかったという女性からこんなメールもいただいたことがあります。

『「祈りは効果がある」という言葉も、母に話してやりました。「それだったらやりがいがある」と母は元気になりました。』

他人に対する想念・内観も効果があるという塩谷博士のお話の補足資料として説明させていただいているのですが、こんなに素直に受け止めていただける場合もあるということを聞かせていただくと励みになりますね。

青山・王子講習会では矢吹紫帆さん作曲の正心調息法BGM「紫の鈴の音」に合わせて10分前後、参加者全員で正心調息法の実修をしています。各人の想念・内観は違えども皆さんで一緒に実修するということはけっこう凄い事のようで、終わったあとの部屋の中の雰囲気が全く違います。とても清らかになっています。その中で、風邪が治っちゃったという人もいれば、補聴器を使っていた方がだんだん音が大きく聞こえてきたというような方もおられました。
一度100人くらい集めて皆で実修してみたいですね

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現在では青山・王子講習会では基礎講座終了後、希望者で実修会を開催しています。自分のできる範囲で、回数もあまり気にせず、とにかく20分実修してみましょう、という会です。基礎講座受講済みか博士の著書などで正心調息法の基本的やり方をご存じの方が対象ですが、機会が有りましたらご参加ください。

■第3子は自然出産-HOさんの体験 2000年5月の報告

私は41才の主婦です。
この1月20日に第3子を無事自宅出産致しました。これも先生著「自在力」のおかげです。

私は骨盤変形で、第1子、第2子共、帝王切開をしており、10ヶ月お腹にいた赤ちゃんの自然出産はもともと無理と言われていました。自然出産をしたいと強く思っていた私にとって、先生の本はとても力強いものでした。出産のみならず、私自身の心身にとっても、めぐり合いたいものにめぐり合えたという感じでした。「宇宙無限力の活用」も読みました。正心調息法をしたあとは、プラスに物事を考えられ、不思議に心が安らぎました。

おかげ様で、子供達も遊ぶ中、主人と力を合わせ、自然分娩をすることが出来ました。こんな幸せなことはありません。とても感激し、まわりのもの全てに感謝でいっぱいです。
先生の本を友人から紹介されて読むことが出来て、本当によかったです。
どうかこれからも、一人でも多くの人が宇宙の無限のエネルギーに気づくことができます様祈ると共に、先生の益々の御活躍を心より応援いたします。

<コメント>
この頃ですと、たしか一度帝王切開で出産したら、その後はもう自然分娩は難しいと言われていたように思います。2021年現在ではかなり技術も進んでいるようで、ネットで検索すると第4子まで帝王切開でというお母さんもおられるようです。
とはいうもののHOさんの体験は20年前。第2子も帝王切開され、しかも骨盤変形をお持ちになった状態での自然分娩はさぞかし大変だったでしょう。出産時に胎児が産道を通るということは、母子の最初の共同作業であり、重要な位置付けを持っているという話もあります。困難な状況の中、思いを貫いたHOさんの意志は3人のお子さんにしっかりと受け継がれていくと思います。