【ページ内目次】

■想念・内観とは?  ■各ステップ毎の想念  ■各ステップ毎の内観  
◇人間のもつ強烈なイメージ力の例

■想念・内観とは?

想念・内観とは、病気を治したいとか、試験に受かりたいとかいった、その時点で自分が実現したい思い、願い事のことを言います。それを正心調息法の呼吸のステップ中に文字とか言葉の力、想像力やイメージ力を取り入れて、思いや願い事の実現を強化するやり方です。

想念・内観は、願望形ではなく、過去形、または過去完了形で発します。つまりは、まずは想念で言葉の力を使いながら、病気でしたら「治りたい」とか「治して欲しい」とかの願望形ではなく、「治った」と完了形で発します。試験でしたら「受かりたい」とか「受かりますように」ではなく、「受かった」と発するわけです。

内観では、想像力やイメージ力を使って、自分の想い、願い事が叶ってしまった後のことを具体的にイメージする形になります。

■ステップ毎の想念について

上記にも有るように、想念とは文字とか言葉の力を取り込むということです。
想念の言葉は、呼吸をしながらですから勿論声に出すのではなく、心の中で思うこと、つまり念ずることです。

各ステップ毎に対応する想念の言葉を説明します。
 ●吸息時の想念
   「宇宙の無限の力が丹田に収められた。そして全身に満ち渡った。」と念じます。
 ●充息時の想念
   「全身が全く健康になった。○○病が治った、治った、治った・・・」 と念じます。
 ●吐息時の想念
   「体内の老廃物がことごとく吐き出された。全身がきれいになった。芯から若返った。」
   と念じます。

このステップ毎の想念の言葉については、必ずしもこの言葉通りに念じなくても良いそうです。これに類した言葉で有れば変えても構わない、と博士は言われています。

ちなみに私の場合、吐息時の想念は「全身がきれいになった。芯から若返った。」の所を「全身の細胞が若返った」と言い換えて念じています。

◇留意点

吸息時の「宇宙の無限の力が~満ち渡った」、充息時の「全身が全く健康になった」の部分、吐息時の「体内の老廃物が~若返った」は固定の文言、願い事が変わっても同じ言葉で念じます
例えば「お母さんの病気を治したい」という場合でも、充息時にはまず「全身が全く健康になった。」と自分のことを念じた後に、「母親の病気が完治して、元気になった」という風に念じます。

■ステップ毎の内観について

内観とは、呼吸法の中にイメージや想像力の力を取り込んで、自分の思いや願い事の実現を強化する手法になります。前述のように想念を過去形、ないしは過去完了形で発するのと同じように、自分の思い、願いが叶ってしまった後のことを具体的にイメージします。

●吸息時の内観

体内に宇宙無限力が入ってくる様をイメージします。
自分の身体の中に宇宙無限力が入ってきて充満するイメージを描ければ良いわけで、各人各様どんなイメージでされても構いません。
私自身は天頂から光が入ってきて、徐々に下に向かっていき、身体に充満するイメージでやっています。
一度それでいいかどうか塩谷博士に聞いてみたことがあります。

そのとき博士から留意点として指摘されたのは、光なら光のイメージでも構わないけれど、単純に上から下へではなく、それを一度丹田に収めなさい、そしてそれを全身に放射しなさいということでした。私自身はそれを聞いてからやりやすくなった面が有ります。
正心調息法関連で「集束放射」という言葉がありますが、その一つの説明にもなっています。

また吸息時の想念の言葉とも連動しています。

●充息時の内観

自分の思い、願い事が実現した後のことを、できるだけ具体的にイメージします。

いくつか例を挙げてみます。
 ◇骨折したスポーツマンなら、すっかり完治して大会で元気に活躍している自分をイメージする
 ◇司法試験受験なら、合格した後、例えば法廷で活躍している自分をイメージする
 ◇営業職で販売目標を達成したいなら、達成して表彰されているところをイメージする
等々です。

●吐息時の内観

老廃物が全て排出されて、体の中の全くきれいになった様をイメージします。

私の場合は、想念時のイメージに関連させて、光の力を借りて体の上部から下部に向けて老廃物を流していくイメージでやっています。
人によっては、身体の中の血液がサラサラと流れているところをイメージする方もおられるようです。以前はTVなどでも、ドロドロ血液がなにかの健康法でサラサラ血液になるような映像を良く流していましたので、イメージしやすいかもしれません。
上記に限らず、自分の身体の中がきれいになったことをイメージできればけっこうです。

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■人間の持つ強力さイメージ力の強力さ

イメージ力が弱い、上手くイメージが出来ない、と言われる方が多くおられます。
しかし本来誰でもイメージ力はお持ちです。例えば目の見える方ですと視覚情報を中心にして活動していると思われがちです。それは事実かもしれませんが、それまでの自分体験等に基づきイメージを併用しながら活動しているのが実際です。ですので、本当は自分自身でイメージ力が弱いとか、上手くできないと思い込まないほうがよいのは間違いないようです。

とはいうものの、そう言われる方も少なくないですので、現在隔月で「イメージ力強化コース」というのを開催しています。本来、正心調息法は簡単な手法であるため、アドバンスコースというのは設定しにくいのですが、イメージ力の強化については受講者の反応を見ながらやってみています。ご興味のある方はぜひ一度ご参加ください。

以下に、人間のイメージ力の凄さを感じさせるエピソードをいくつか紹介しておきます。

●漆の葉に触れると間違いなくかぶれるのか

漆の葉に触れるとかぶれる。漆職人の方なんかでも慣れないうちは大変な状況になるようです。ではどんな条件下でも漆の葉に触れるとかぶれてしまうのか。
漆の葉でかぶれた経験の有る高校生57人に目隠しをして実験する。片方の手には漆の葉だと告げて栗の葉で触れる。もう片方には栗の葉だと告げて漆の葉で触れる。すると半数以上の高校生が栗の葉が触れた方の手にかぶれの症状が出て、漆の葉が触れた方には無反応という結果になった。
 ※「プラシーボの治癒力」(ハワード・プローディ著)P.94

これは漆の葉に触れるとかぶれるというのは嘘である、ということを意味している訳では有りません。人間は思い込みによって現象を変えてしまう可能性が有るということになります。

●人間は物理的手段によらず、イメージだけで死ぬことができるのか

講習会で、人間が本来持っているイメージ力の物凄さを話すときの、二つ目の問い掛けです。
物理的手段と言っているのは、首吊りとか、服毒、投身、刃物・銃器類の使用等々のことです。そう問いかけると、たまに自信はないけれどできそうな気がするという方もおられますが、できそうもないと思われる方がほとんどです。

でも、どうやら人間はイメージだけで死ぬことが出来るようなのです。この話はたまたま「正心調息法と大断言」HPの第1掲示板で私が紹介したその晩、フジTVの「アンビリーバブル」という番組で同じ逸話を紹介していたということで、掲示板仲間がビックリしたというおまけ付きの話です。
 ※「腰痛は怒りである」(長谷川淳史著/春秋社刊)より

第二次大戦前のドイツということですが、医師団がある死刑囚に依頼をします。人間はその体内を流れている血液量の10%を抜いてしまうと死ぬと言われている。その実験台になってくれないかということです。死刑囚は承諾し、ある日実験に取り掛かります。ベッドに寝かせ、抜かれた血が溜まっていく音を本人に聞かせます。そして周りの医師団が「これで10%を越えたぞ」と声を上げたときには、その死刑囚は既に絶命していたそうです。これだけでも酷い実験だと言えますが、この話は「血液を体内から抜く場合の致死量は10%以下」という結論になったということではありません。
実は血が溜まっていく音だと言って聞かせていたのは、単なる水を貯めている音だったのです。ここに関しては、ネットで当たったら豚の血を流し込んで溜まっていくところを見せた、って説も有って、その方が迫真性は有りそうですが、お分かりのようにつまり血は一切抜いていなかった。本人がそう思い込むように、血管に注射針を射すようなことはしていたのでしょうが、実際には血は抜かれていなかった。客観的には死ぬ要件は全くないにも拘らず、もう自分がその日に死ぬことを「全く疑わなかった」死刑囚は死んでしまったということなんです。

客観的な死ぬ要件はないにも関らず死んでしまったとすると、その死刑囚はイメージだけで死んでしまったことになります。人間がイメージだけで死んでしまうとすると、そのイメージ力は途轍もなく深いものだということになる。ならばそのイメージ力を反対側のプラスの方向に向けることができたなら、これまた途轍もないことができる可能性を示しているのではないでしょうか。

●思い込みが死に繋がった例

もう一つ、「思い込み」が死に繋がってしまった例を紹介しておきます。
  (「プラシーボの治癒力」ハワード・ブローディ著/日本教文社刊 P.92より)

命に関わる病気ではないけれど「三尖弁狭窄症」という心臓弁に疾患を持つ女性が検査入院していた。彼女は軽度の鬱血性心不全でもあったけれど、薬によって上手く抑えられていて、状態は安定していた。

ある日、その病院の高名な心臓専門医が「白い巨塔」よろしく大名行列で彼女の病室に現れ、彼女を物のように扱って出て行った。その直後から彼女の症状が悪化します。2、3時間前は全く正常だったのに、鬱血性心不全が悪化する前兆が現れている。担当医がいったいなにがあったのか確認すると、彼女はあの心臓専門医が自分のことを「末期的症状」だと言ったと言う。

さらに詳しく聞くと、件の専門医が取り巻き達に「この女性はTSでね」と言ったとのこと。「TS」というのは心臓専門医が「三尖弁狭窄症(Tricuspid Stenosis)」の略語として普通に使うもの。ところが彼女はそれを「末期的症状(Terminal Situation)」と置き換えてしまった。そうなるともう担当医が「TSというのは三尖弁狭窄症の略語だ」と事実を説明しても、「医者は患者に本当のことを話そうとしない」と受け入れず、心臓もどんどん悪化して、その日遅くに亡くなってしまったそうです。

これらの例は、人間の思い込み、イメージ力というのはいかに強力なものかということを教えてくれます。しかも悪い方向への思い込みというのは、多くの人たちの、あるいはほとんどの人たちの「得意分野」です(笑)。ほとんどの人が悪い方向になら強く思い込めるということは、逆説的に考えれば良い方向にも同じくらい強く思い込めるということの証明でしかないのではないでしょうか。

私たちは決してイメージ力が弱いわけではない。きっとそう「思い込んでいる」だけなんです。自信を持って「都合のいい」方向にどんどんイメージしてしまいましょう。

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