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■集束放射  ■百時如意

■集束放射       印刷用/集束放射イメージ図(PDF/A4縦サイズ) 

集束放射の意味の一つについては、吸息時の内観のところでも触れています。つまりは、取り込んだ宇宙無限力をいったん丹田に収めて、それを全身に放射するように内観(イメージ)するというのが一つです。

もう一つは、その時点で実現したい自分の思い、願いに対する集束放射です。
紙をお日様にかざしても燃え上がることはありません。しかしレンズを持ってきて紙の上に焦点を結ばせると燃え上がります。それが真っ黒な紙であったならもっと早く燃え始めるということは、皆さん、ご存知のことです。
これに正心調息法の要素を対応させると、右の図のように太陽は宇宙無限力、レンズは呼吸、紙はその時点で実現したい思いとか願い事に当たります。そしてその紙を真っ黒に塗る行為が想念・内観ということになります。博士はこれを「心の墨塗り」と表現されています。

つまりは、宇宙無限力を呼吸というレンズを通して焦点を自分の願望一点に絞り、さらに想念・内観をもその一点に集中させて、願いが実現することを一点の曇りもなく信じきって放射する。それが集束放射のもう一つの意味ということになります。

■百時如意

百事如意を読み下せば「百事、意の如し」。「百事」というのは全てのこと、という意味ですから、正心調息法を実践すれば何事も思いのまま、全て実現しますよ、ということになります。

実際、正心調息法を実践したことで劇的な効果を体験する方も少なからずおられます。その反面、一生懸命やっているけれどちっとも効果が現れないという方がおられるのも事実です。
塩谷博士がご存命の頃は掲示板にもいろいろとそのような書き込みが有り、やり方が悪いのだろうかという質問も受けたことがあります。

上手く出来ているのかどうかを、他人がチェックするのはかなり難しいことです。講習会などでも、とくに吸息の時に上体が動いている場合には直ぐ指摘できますが、その他のところや、さらに想念・内観が上手く出来ているかどうかは外側からでは判断は不可能です。

基本的には疑念を持たずに願望が叶うことを「信じ切る」必要がある事はご理解いただけると思います。
ですがそれをあまり言い過ぎると「それはあなたの想念・内観が弱いから」という「正論」の押し付けに陥ってしまいがちです。場合によっては相手を責める言葉になってしまいます。

なかなか願いが叶わないという方にどう説明すればいいのか、あれこれと悩みましたが、あるときいろんな人からの奨めで、中村天風師の本を読んでみました。読んでみて驚いたのは、言葉こそ違え中村天風師の言われていることと、塩谷博士が言われていることがほとんど同じだということです。そこでふと気付いたのは、お二人の言われていることがほとんど同じであるとしたら、逆立ちさせて考えた方がいいのではないかということです。

なにを逆立ちさせるのかというと、例えば塩谷博士は「正心調息法を実践すれば百事如意」と言うけれど、人間自体が本来百事如意という方向から考えた方が理解しやすいのではないかということです。人間が本来持っていた能力が文明の進展によって、あるいは便利になることによって、どんどん失われている。それを取り戻す、あるいは思い出す一番の近道が、塩谷博士なら「正心調息法」であり、中村天風師であるなら「心身統一法」であると考えた方がいいのではないか。そう思えてきました。

塩谷博士に「百事如意」について以前お聞きした時も、「人間がそのままで空を飛ぶとか海の上を歩くとかは人間の本来の機能ではないからできはしない、つまり自然の理ではないから不要な機能である。でもその他のことは全てできるんだよ」と言われていたのを思い出します。

●人間の持つ不思議な能力

実際、人間は妙なことが出来ます。
「雲消し遊び」というのをご存知でしょうか。地上にいる人間が空に浮かぶ雲を消せるのです。私が出来たのですから皆さんも出来るはずです。

初めは本で知りました。あまり大きなものは選ばない方がいいですが、その本にある通り、雲の縁をなぞるように見つめながら、心の中で「雲は消えました」と過去形で、続いて「ありがとうございました」と念ずることを繰り返します。すると面白いように雲は消えていきます。ただし「消えないのでは?」とか、人に見せようとして「消えなかったらどうしよう」などと余計なことを考えていると駄目です。

青空に雲を作ることもできるそうです。これは目標物がないせいか、私には出来ませんでした。でも沖縄での講習会に参加してくれた小学校高学年の女の子に聞いてみたら、雲は勿論消せたし、「雲を作れた?」って聞いたら「空に字を書いた」って言ってました。やはり子どもの方が純粋な分だけやりやすいのかも知れませんね。

人間が雲を消したり作ったりできるとしたら、いったい何ができるのでしょう。
もしかしたら人間は天候に影響を与えることが出来るのかも知れないということになってきます。つまりは雨乞いだとか、反対に雨を止ませるとかいうことです。人間が自然界に恣意的に影響を与えるのがいいか悪いかという問題もありますし、もっと心持ちが純粋でなければとか、なんらかのパワーがもっと強大でなければ、というような条件は付くのかも知れませんが、可能性はあるということになります。今でも沖縄の西表島等には雨乞いが得意な巫女さんが実在されていて、頼まれてあちこちに出かけていっているようです。ただ「成績」の方は聞いていませんけれど。

2004年(H16年)末のインド洋大津波。いよいよカタストロフィーかと思わせるような大災害で、各国で非常に多くの犠牲者を出しました。スリランカでも大きな被害が出ましたが、そこに住む野生のアジア象は一匹も死ななかったそうです。NHKの「地球・ふしぎ大自然~アジアゾウ・人に聞こえない脅威の声」(2005年11月7日放送)という番組でも取り上げていましたが、象たちは津波が到着する1時間前から内陸へ避難を始めたそうです。象たちは日頃から人間の耳には聞こえない20Hz以下の低周波でも会話しており、津波自体から発せられ、速度は津波よりも速く伝わってくる低周波を捉えていたのだろうということでした。

震源地の直ぐ北にやはり地震と大津波で大被害を受けたインド領のアンダマン諸島があります。その島の一つにはいまだに原始的な生活を送っている部族がいて、他の人間が上陸しようとすると武器で威嚇するそうです。その島には病気等を持ち込まないようにするため、現代人の上陸が禁止されているとのことですが、そこの住民にも死者は一人も出なかったとのこと。彼らがまだ低周波を聞き取る能力を持っているのか、その他の能力または知識で災害を避けられたのかはわかりません。本来は人間自身にも危機を察する能力は備わっているのではないか。そのことの状況証拠にはなるのではないでしょうか

●退化する能力

人間の持つ能力というのは、その必要性がなくなるとどんどん退化するようです。

2005年(H17年)末には「マサイ」という映画が公開されました。アフリカの先住民であるマサイ族の人たちに演じてもらった映画で、結局映画自体は見られませんでしたが、ドキュメンタリーではないようです。それに主演したマサイ族の若者二人が公開に先駆けて宣伝のため来日しました。その二人の視力が話題になっていましたが、なんと「8.0」だそうです。

視力8.0というのがどれほどのものかと言うと、私が見た番組では小学校の校庭の端と端に立って、子供たちが手にした絵になにが書いてあるのか見えてしまう。彼らが他の番組にも出ていたそうで、こちらは又聞きになりますが、視力がそんなに良いと手品が成立しないそうです。例えばトランプのある1枚のカードを隠す。一度目は分からないらしいですが、二度目になると「今隠した」とわかってしまう。人が入れ替わるという場合も「今人が動いた」とかわかってしまう。いわゆる動体視力も違うのだとは思います。

彼らがどうしてそれほどの視力を持っているかと言えば、彼らは狩猟民族ですから、できるだけ早く獲物を見つけなければならない。見つけたからと言ってその獲物に真っ直ぐ向かえば良い訳ではない。風向き等々を考えながら近づいて行く。それがおそらく狩猟民である彼らの生活のための必然性から身に着いた能力なのでしょう。

全く別な本で読みましたが、そんな彼らを都会に連れてきて生活させると半年も経つと遠目は利かなくなってしまうそうです。都会という生活環境は遠くを見る必然性を奪ってしまうのではないでしょうか。

歩く能力もそうです。例えば江戸時代に旅をする人たちは1日にどれくらいの距離を歩いたかご存知でしょうか。

男性で40km、女性で30km程だったとのことです。旅ですから、当然何日か続けてその距離を歩くわけです。皆さん、今の自分の生活に照らしてみて、まずは1日に30~40km歩くということは如何でしょう。マラソンとかウオーキングをする人でなければ、その距離はもはや自力で歩く距離ではないですよね。ましてやそれを何日も続けてとなったら、なにをかいわんやです。

最近よく言われていることの一つに、農家の人たちより都会の人たちのほうがまだ歩いているという話があります。交通機関が発達している都会の人たちは、それでも駅までとか乗換えとか、駅から勤め先まで等々歩く機会は少なくない。ところが農家の方たちの自家用車保有は、もう一家に1台どころではなく1人に1台という状況になっていて、歩く機会は非常に限られるようになってきています。

また苦笑い気味に言われるのは、エコロジーな生活を求めて都会を離れた人の話。もともと所有していた人もいるでしょうけれど、木々や自然に囲まれた新しい住処で最初にすることは自家用車の購入だという皮肉。完全自給自足でもない限りは生活物資を調達する必要がありますが、それができる店など現代人が歩いて行けると思う範囲にないわけです。

前述のマサイ族の人たちは、今でも日常生活の中で1日に40km程を歩いているそうです。 小説ではありますが、幕末を題材にした岡本綺堂の「半七捕り物帳」などを読んでも、神田三河町に住む半七親分の行動範囲は、現代の我々がイメージする「歩く」からするとかなり広いものです。決して「超人」として描かれているわけではありませんから、歩くことしか手段がない時代には普通のことであったわけです。電車が走り、自動車が走り、飛行機が飛ぶ現代は、ある意味「歩くこと」から疎外されている時代なのかも知れません。

●可能性は無限大

ほぼ自主上映会でしか見ることのできないドキュメンタリー映画に「地球交響曲」シリーズ(龍村仁監督作品)があります。ジェームズ・ラブロック博士の「地球は一つの生命体である」というガイア理論をベースにしたもので、2021年6月に最終章「第9番」が公開されました。

その「第1番」には想像を絶するトマトの巨木が縦糸のストーリーになっています。1985年に開催されたつくば万博の日本政府館でご覧になった方もおられるかも知れません。その圧倒的な生命力は見るものの心を震わせます。それは土を使わないハイポニカ農法で栽培されたトマトの巨木なのですが、これまでで最も大きく育ったものは、10m四方にその枝を拡げ、10ヵ月間ほどで15,000個以上の実を着けたそうです。

HYPONICA農法(水気耕栽培)によるトマトの巨木

ハイポニカ農法は特殊なことは一切していません。バイオテクノロジーを使うとか、特殊な肥料を使うとか、種を選別するとかはしていません。唯一の違いは水耕栽培、土を使わない栽培方法です。根っこを生やす栽培槽の下に、水と液体肥料を入れる栽培槽を設置します。そしてポンプを使って水を循環させ、その途中に空気(酸素)を混ぜ込む。それだけでトマトの巨木が現出してしまいます。

それでは前述の大きさがこの栽培方法でのトマトの限界なのかというと、どうもそうとも言えないという話があります。同農法の開発者である野澤重雄氏は「非自然」と表現されていますが、このトマトの巨木は地球環境上での自然そのものではありません。地球生態系上での自然であるなら、土に根を張り、それによって自分で支えられる範囲の幹を立て、枝を張り、葉を広げて実を作ります。

流石にこのトマトの巨木ではそれができませんから、葡萄棚のようにパイプを組み、その上に枝を這わせます。また急激な温度変化、湿度変化も避けますので、基本的には温室での栽培になります。するとどうもその温室の大きさを植物が自分で判断して成長を止めてしまうようだというのです。人間の方がコストを度外視して、体育館のような大きな温室を造ることが出来るのなら、トマトはもっともっと巨大な生命力を見せてくれるのかも知れません。

普通のたった一つのトマトの種の中に、これだけの無限大ともいえる生命力が秘められています。もともと1種類であったかは分かりませんし、もともと動物系と植物系は違っていたかも知れませんが、いずれにしろ生命は単細胞から出発したといわれています。それが35億年の時間をかけて、極めて多様な生態系を地球は創造してきました。

同じ単細胞から出発したにもかかわらず、植物にはこのような無限の可能性があるのに、動物にはそれがないということが考えられるでしょうか。人間が巨大化するかどうかは分かりませんし、もしかしたら人間の想像力が無限ということなのかも知れません。
やはり私には人間の能力も無限大であると考える方が自然なように思えます。トマトの巨木はそれを私たちに教えてくれているのではないでしょうか。

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◇トマトの巨木/余話

トマトの巨木が呼吸法に関係するかもしれないという話をしておきます。

トマトの巨木は一度だけできたわけでは有りません。毎年、現実にその姿を何度も繰り返して見せてくれていますけれど、科学的にはなぜそんなに大きく育つのかということについては、まだ解明されていません。映画「地球交響曲第5番」で、ジェームズ・ラブロック博士は実際にトマトの巨木を眼にして、「科学的な説明はできないけれども、まず私はこの事実を受け入れる。説明は後からついてくる。」と言われています。

ただ、これまでの研究で一つだけわかってきたことがあるそうです。それは右の写真で見るように栽培槽の中にまるで絨毯のように根っこが密生します。この写真に見えるような根っこは、みんな水分とか養分を運ぶ「輸送管」に当たるわけですが、その先端には無数の毛細根が生えていて、そこから水分やら養分を取り込んでいます。その毛細根にいかに満遍なく酸素を行き渡らせて活性化するかが、トマトがこれほどの生命力を現出させる一つの要因であると分かってきたとのこと。

HYPONICA農法による栽培槽内の根の密生

南極海には他の海の中より巨大な生物がいるそうです。それは酸素濃度が他の海より少し高いことがその要因とのことです。
塩谷博士は、深い呼吸をして最大限に酸素を取り込み、全身の細胞に酸素を行き渡らせることが大切と言われています。まさにそれと同じことをトマトも教えてくれているのかもしれません。

●深い呼吸は癌の予防になる?

人間の身体の中には、諸説あるものの、良く言われるのは60兆個の細胞が有るそうです。個々の細胞が長生きしたり新陳代謝するためには酸素が必要です。呼吸が浅くて体内が低酸素環境に置かれると、正常な細胞も寿命が短くなったり、新陳代謝しにくくなったりします。

長堀優氏の著書「見えない世界の科学が医療を変える」の「第四章:低酸素環境とがん」の中で、オットー・ワールブルグ博士(1931年ノーベル医学生理学賞受賞)の説を紹介しています。がん細胞は低酸素環境に極端に強い特徴を持ち、酸素の少ない環境下でも、多量のブドウ糖を分解することで、エネルギーを産出し生育することができるのだそうです。 となれば深い呼吸に心掛けて、身体の中に酸素を十分に満たしておけば、癌に対する予防になる可能性は高いと言えるのではないでしょうか。

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